gram on this month −月ごとの日記  
     
 

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2002.8.15 [Thu]
残暑見舞い

 某サイトのリンクページで「そろそろ閉鎖かも……」と書かれていてショックがびーん。さらにどうやら新しい職場の人間にこのサイトの存在が知られたようてがびーん。どちらもまあ取るに足らないことなのだけれど。

 そんなワケで。久しぶりに更新。生きてますよ。

 立秋も過ぎたのに相変わらず暑い(ちなみにこの文章を書き始めた頃にはまだ7月はじめだった)。気が狂いそうに暑い。あ。ついでに残暑お見舞い申し上げます。>多方面


 暑い故に人は薄着になる。

 おれの新勤務地は渋谷だ。渋谷はやっぱり若い婦女子が多い。婦女子の夏はアッピールの夏でもある。そして渋谷の婦女子は往々にして大胆なアッピール度合いの傾向が強いのだった。出自がオッパイ星であるところのオッパイ星人なおれは、そういうアッピール系の婦女子と対面すれば確実にその胸部に目を引き寄せられる傾向にある。
 婦女子の胸関係にいくつかの種類があるのはもう周知の事実だ。
 その“種類”とはもちろん、カタ系とヤワ系だ。
 カタ系のチチは揺れない。ヤワ系は揺れる。それが大きな違いだ。しかし揺れはそのチチの大きさにはよらない。大きく見えてもカタ系のチチあり、大きさ的に手のひらに心地よさそうなチチでヤワ系ありと、地球上の物理現象に反するような事例はそこここで確認できる。今さらその事例について解説したり詮索したりするのは無意味なことで、世の男性諸君は婦女子たちの、あくまで物理現象と戦うのよッ!的な心意気と工夫には惜しみなき賞賛の意を送るべきなのである。ぱちぱち。

 というのはサテオキ。
 最近見かけるのは透明素材のチチヒモである。正確にはチチバンドヒモだろうか。ともかくその透明チチヒモはそこ(婦女子の肩)にある。おれの目にも入る。確かにチチを支えるためにある。しかしそれは透明なのである。
 それは見るな、ということなのか。見えるのに見えてはイケナイ、ということなのか。もしそれが透明な素材ではなく、ふつうのシルクだったりコットンだったりすれば、明らかにチチヒモなのである。チチヒモをハゲシク露出しているのである。その“露出”はまごうことなき事実なのだ。しかし。透明なのだ。ここには、出してるんだけどこれはナイも同然なのよッ!的な婦女子の強固な心意気が現れているのかもしれない。それでもおれはその心意気には納得できない。
 たとえるならそれは黒子(ホクロじゃないよクロコだよ)。歌舞伎やら人形浄瑠璃やらで登場する黒子だ(人形浄瑠璃では顔出ししてますけど)。いるんだけどいちゃイケナイというかそもそもぜーんぜんいないことになっている、どうにも納得のいかない存在のアレ(彼?)だ。透明チチヒモもそれと同じような立場なのではないのか、と思ってしまうのだ。あるんだけどないことにしてよネ的な気持、それは彼女を眺める他者にとってのものすごい甘えなのではないのか。といつまでも納得の淵でぐるぐると考えを巡らせるおれなのだ。
2002.8.16 [Fri]
逡巡

 久しぶりに更新したらなぜだかアクセスが増えた。更新してみるものだ(しみじみ)。

 最近は「日記」というものを書く日常に身を置いていない。ような気がしている。毎日毎時毎分毎秒、アタマの中にうじうじと湧いてくるもの。それは、結局なんてコトはない「雑念」だ。それを文章という形にすれば「雑記」。でも日付をつけてWebにアップするのであればやっぱり「日記」なのかもしれない。いやちょっと待て毎日更新しなければ「日記」ではないのではないか。でも、日付でくくればその文章はやっぱり「日記」たり得るのではないのか。細々とでも読んでくれている人がいる限り、続けてみるべきなんじゃないのか。考えてみたら、今までもすべて事実である日常をまとめた、純粋な「日記」を書いていたワケではなく、大いにフィクションを混ぜ込んだ文章を書いていたわけで、今後もそれを継続していけばいいだけのことなのだ。いいんだよなあ? うん。いいいい。いいってば。

 そんなことを逡巡しながら、今後もナニゴトかを書いていこうと決意してみたりしている。

 そんな決意をしてみたりしているおれが今日足を通しているジーンズはクサい。発汗とともにニオイが立ちのぼってくる。どうやら洗濯に失敗したようなのだ。と。こんなどうでもいい話を織り交ぜながら。この日記はじわじわと続いていくのだ。
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